■96タミヤワ−ルドチャンピオン決定戦の思い出■

今となっては懐かしい思い出となった96年のタミヤワ−ルドチャンピオン決定戦。
タミヤグランプリへはもう10年以上参加し続けていますが、
まさか自分がタミヤのワ−ルドチャンピオンになれるとは思いませんでした。
もうずいぶん前の話ですが、当時のレ−スを振り返って
どのようにレ−スを戦ったか、挑戦記をまとめてみました。




ミニク−パ−、このクルマには強い思い入れがあります。
まだMシャシ−もなかった93年頃、
ワタクシは本物のミニが欲しくてたまらなかった時期がありました。
毎日、ミニ専門の自動車雑誌を読みふけってはため息をつく日々。
しかしこのころは結婚していて、新築を買ったばかり。
とても実用性のない、小さな外車を買う余裕なんてありません。
するとタミヤからR/Cカ−のミニク−パ−が発売されたではありませんか!
なんというグッドタイミング、本物は買えなくても、コレなら....
もちろん速効で予約して購入したのは言うまでもありません。


ミニの特徴をうまくとらえ、リアルに再現されたボディ、
コンパクトサイズの生み出すキビキビした走り。
すっかりMシャシ−の魅力にハマってしまいました。


それからというもの、サ−キットで、レ−スで、相棒はいつもミニです。
購入してすぐに、石川県にある
オ−プンしたてのサ−キットにマシンを持っていきました。
マシンは快調に走行し、一緒に走っていたツ−リングカ−をオ−バ−テイク。
抜かれたツ−リングカ−のオ−ナ−は、
ワタクシのミニがすごい改造をしているのだろうと思い、
気になって見に来ていましたが540モ−タ−に
ノ−マルのラジアルタイヤであることに
唖然としていたのが今でもはっきりと覚えています。


その後はチュ−ニングパ−ツなどもどんどん発売し、
マシンのポテンシャルはさらに加速していったのです。
当時はF-1をメインにやっていたので、
動きのおだやかなMシャシ−の操縦は楽勝。
タックインを使っておしりを振り出し、
ゼロカウンタ−でコ−ナ−を立ち上がるテクニックをマスタ−し、
海王丸ではツ−リングカ−はもちろん、
F-1を相手にバトルを申し込んでいたほどです。
最後は15タ−ンのモ−タ−に載せ換えて、ストレ−トをかっ飛んでいました。
おかげでフロントタイヤはすぐに摩耗し、
毎回新品1セットを使い切るほどハードに走行していました。
ダンパ−やタイヤセット、スタビライザ−の使い方など
ノウハウも日に日に蓄積していき、マシンの熟成に磨きがかかります。
このころになるとミニシャシ−でのライバルは誰もいません。
練習相手はもっぱらツ−リングカ−です。


そんななか、全日本選手権が終了して数日がたった時、
自宅にタミヤから1通の封筒が届きました。
「第二回タミヤワ−ルドチャンピオン決定戦」の参加案内だったのです。
そこにはF-1やツ−リングカ−の他に、
今回からあらたにミニスポ−ツクラスが追加されることになったのです。
「これだ!」自分が捜し求めていたものはコレだったのです。
全国のMシャシ−使いとバトルがしたい!
なんとなく漠然と思っていたことが、現実になりました。


全日本で戦った、海王丸の仲間といっしょに、
出来立てホヤホヤの掛川サ−キットに遠征することに。
掛川サ−キットはとにかく巨大!
その大きさに圧倒されましたが、どちらかというと武者震いだったかも?
マシンはもちろんM01シャシ−。前輪駆動のミニク−パ−です。
この頃にはめでたく実車のミニオ−ナ−にもなれたため、
ボディカラ−は実車と同じ白で塗装しました。
シャシ−のセッティングはモ−タ−を規定のMチュ−ンに交換。
オプションのボ−ルデフやCVAダンパ−などで万全の体制です。


しかし、レ−ス前に行われた練習走行では予想外の問題が。
コ−ナ−を曲がるたびにマシンが転倒してしまうのです。
どうもオ−バ−ステアが強く、フロント荷重がかかりやすくなり、
それが原因で転倒するようです。
そこでいつもとはタイヤを前後逆に、
フロントのインナーを固く、リヤを柔らかくしました。
またスタビライザ−もソフトなタイプを選択したのです。
そうしたことでマシンはいつものように思い通り走ります。
「これはイケる!よし、レ−スは全力を出して戦うぞ。」
確かな手応えを感じ取ることができました。

ドライバ−ズミ−ティングを終えて、いよいよレ−スが始まります。
レ−スアナウンスはいつもと違い、二か国語放送。
世界選手権の雰囲気をグッと盛り上げます。
予選は1周のベストラップを競うタイムアタック方式です。
第一ヒートではワタクシのミニク−パ−は先頭で予選を引っ張ります。
タイムもこの組ではただ1台、30秒台を割り込み、
ダントツのトップタイムを記録しました。
「やった!マシンはかなりいい仕上がりだ」
期待をしながら、予選結果表を見にいきました。
しかし、その結果はガクゼンとしたのです。
自信があった予選でしたがト−タルで5番手。
しかもタイム差に、大きな開きがあったのです。
しかし、同時に世界のカベの厚さを感じました。
一方、おなじ海王丸の仲間である後谷選手が、
なんとF-1クラスで暫定のトップタイムをたたき出したのです。
これには海王丸のピットも大騒ぎでした。


これに勇気づけられて、ワタクシも気合いが入ります。
そして第二ヒ−ト、さらに集中してコ−ナ−を攻めます。
するとアナウンスでタイムを更新した!との声が。
順位もトップには及ばないものの、かなりの好タイムのようです。
しかし、次の瞬間、ステアリング操作ミスで縁戚にマシンをヒット!
そこからピクリともマシンは動きません。
ミニスポ−ツとはいえ、広大な掛川サ−キットを走るため、
かなりのスピ−ドが出ます。もちろんクラッシュするとダメ−ジも大。
マシンを見るとフロントギヤケ−スが全損、配線関係もちぎれています。
必死の修復作業は、閉門時間にまでおよび、
タミヤスタッフの方に迷惑をかけてしまいました。スイマセン....
ちなみに予選総合成績ではひとつ上がって4位ですが、
気になっていたトップとの開きがあまりありません。
この結果には自分も満足。ホット一安心です。
大会初日はこれで終了。明日は予選最終ヒ−トと決勝戦となります。


ホテルで爆睡のあと、大会最終日を迎えます。
予選最終ヒ−ト、さらなるタイムアップを目指します。
スタ−トの混乱に巻き込まれたため、マシンを一旦スロ−ダウン。
ベストラップはなるべく電圧の高い、初期のうちにアタックしないと
良い成績は望めません。そこでクリアラップを待ったのです。
トップのクルマがワタクシのすぐ後方に迫ってきたのでマシンをスタ−ト。
クルマの動きは順調。セッティングも完璧に決まっています。
クラッシュしないように、慎重にコントロ−ルしつつ、
ダイナミックにコ−ナ−を攻めていきます。
そして快心の走りでタイム更新!もちろん一発でキメました。
自分でも力を全部出し切った、という感じです。
予選結果はかわらず4位でしたが、
その順位以上に満足できる予選だったと思います。
ただヨ−ロッパ代表のイアン.ディボル選手だけが
飛び抜けたタイムでポ−ルポジションを獲得しました。
彼はラインを大きくとる独特の走行スタイルで
マシンを極力失速させないようにしていたのが印象的。
またストレ−トスピ−ドもダントツで速く、これは手強い存在だと感じました。


決勝レ−スは2ヒ−トの合計ポイントで争われ、
20台のフルグリッドで行われます。
公平にするため、決勝戦だけモ−タ−は支給されることになりました。
モ−タ−をタミヤスタッフから渡されますが、そこにはどこかで見た人が....
その人とは、なんと初代のミニ四ファイタ−だったのです。
すでにこの時、ファイタ−は二代目にバトンタッチしていましたが、
意外な人の突然の登場に、ちょっと驚き。
さて、その渡されたMチュ−ンモ−タ−は発熱に注意しながら、
1時間かけてゆっくり慣らしをしておきました。
マシンの整備もぬかりなく行い、決勝に備えます。


スタ−ティンググリッドは、
FFのM01とRRのM02が交互に入れ代わる
おもしろい組み合わせになりました。
スタ−トシグナルが点灯し、いよいよ決勝レ−スがスタ−ト!
スタ−トダッシュはリヤ駆動が有利とは百も承知。
後にいたアメリカ代表のスティ−ブ.ニュ−エン選手のエスハチを
先に行かせることにしました。
しかし、前方ではアクシデントが....ポ−ルのイアン選手がまさかの転倒!
それを避けるように順位に変動があります。
ワタクシは2位で一周目をクリア。作戦がうまくいきました。
そしてトップを走る久田選手のマシンに迫ります。
マシンはうまく仕上がっている!これはイケルとプッシュします。
たまらず久田選手はタキシケインの出口で、インを明け渡すことに、、
走っている者どうしにはわかりますが、あきらかに譲ったようです。
あっさりとトップを奪取したあとは、2位以下にジリジリと差を開いていきます。
今日はノっている、というかいつもの海王丸で走っている雰囲気と
まったく同じ感覚で走れている。
2位以下は接戦で、クラッシュもあった模様。
アメリカのスティ−ブ選手が上がってきたとのアナウンス。
しかし、ワタクシの視界に2位グル−プはまったく入ってきません。
そのまま大差をつけてトップフィニッシュ!。
まさか自分が、タミヤグランプリの決勝戦で、
トップゴ−ルをするとは夢にすら思いませんでした。
もうこの時は舞い上がるしかありません。
さらに仲間の後谷選手も、F-1でまさかのトップゴ−ル!
なんと2クラスを
富山の田舎から来たドライバ−が取ったことになります。
第一ヒート終了時点で、我々のピットにはTV取材も来ました。
後谷君とワタクシのインタビューの様子はバッチリ放送されたのです。


そして第二ヒートが始まります。
しかし、ここでまさかのアクシデントが....
充電が間に合わず、スタートできません。
ワタクシは先に操縦台に上がり、
マシンの準備はチームメイトにまかせました。
しかし無情にも満充電にならないまま、スタート準備のアナウンスが。
やもうえず、そのままマシンをコースに置き、スタートしたのです。
決勝第二ヒートがいよいよスタート!
いっせいに第一コーナーにマシンがなだれ込みます。
スタートはまずまず、3番手でレース序盤戦を走ります。
目の前を久田選手が走行、
トップはヨーロッパ代表のイアン選手が独走体制です。
しかし、ストレートではワタクシのマシンは置いていかれます。
しかも、中盤オーバーグリップして転倒。
順位を一瞬4位に落とし、チャンピオンへの可能性がなくなります。
しかしすぐにリカバリーし、ふたたび3位浮上。
レースも終盤戦になり、どうなることかと思ったら、、
ポイントの計算上、このまま走行すればワールドチャンピオンになるとのアナウンスが。
コースサイドのコースマーシャルからも、
「大丈夫、ペースを落として!」と声がかかります。
そのまま規定周回を走行し、ゴールイン!
願ってもいない、ワールドチャンピオンになったのです。
操縦台からおりたパドックは大騒ぎ。
チームメイトと喜びをわかちあいます。

レ−ス中はさまざまなアクシデントがり、
苦戦したことも多かったですが
そんななで大好きなミニクーパーで
優勝できたことは最高の思い出です。
ミニスポ−ツのワールドチャンピオン戦は、
現在でも行なわれていますが、
歴代チャンピオンのなかで、ミニクーパーで優勝したのは
実はワタクシひとりだけなのです。

■フォトギャラリー■

いっしょに遠征したどんぐりの会の仲間たち。
左から男樹、トップフォース兄、
総長、トップフォース弟。
このほか後谷くんやヒデも一緒です。
広大なタミヤ掛川サーキット。
初めて見たときの強烈な印象を
いまでも鮮明に覚えています。
1周300メートルのコースをミニスポーツで走ると
ほとんどチョロQに見えます。(笑
ワールドチャンピオン戦を戦ったすべての荷物です。
このあたりからコンパクトにまとめるクセがついたかな。
左上に入っているダンボールは
工具や小物パーツが入っていて、
箱に、荷物の配置図を書いています。
入れ方を間違えるとすべてが収まらないほど
ぎゅうぎゅうに詰めこんでいるのです。
大会前のミーティングでの1コマ。
タミヤスタッフが並んでいます。
外国代表選手による練習走行風景。
みなさん気合入ってます。
RCといえども、レースはホンキで。
国際的なモータースポーツなのだと実感します。
海外ドライバーの紹介です。
このころはアメリカとヨーロッパだけでした。
総合成績で4位だった
スティーブニューエン選手のパドック。
最初はFFのミニクーパーを使うはずだったのですが
フィーリングはエスハチのほうが良かったみたいですね。
海外選手はTRFスタッフがアドバイス。
日本と外国選手の橋渡し役になってくれたのは
中央のピエール。日本語ぺらぺら。
左端の黒いTシャツが、元ミニ四ファイターです。
念願かなって大会前の5月には晴れて
本物のミニオーナーになれました。
これは11月に開催された
ツインリンクもてぎのジャパンミニディの様子。
今は赤い90キャブクーパーですが
このころは白いインジェクションミニに乗っていました。


戻らない

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